愛しさと切なさと心強さと

yosuke07142007-03-30

たった今、引越し屋さんが私の荷物を持っていってしまいました。高校入学時から7年間、お世話になったこの小さな小さな部屋ともお別れ。からっぽになった部屋を見ていると、なんとも寂しい気分になる。

配属が決まってから、たくさんの方からメールを頂き、飲みに行った。決してもう最後では無いのだけれど、しばらく会えなくなるのは事実だから、毎晩毎晩気分はセンチメンタル。やっぱ大人になると涙腺がゆるくなるというのは本当で、特に人との「別れ」は、胸にグッとくる。

グッくるその瞬間に思うことは、本当に恵まれた環境にいたなぁという感謝の気持ち。当たり前におって、当たり前に顔を合わせていた友人とも、今後はちょっと頑張らないと会うのが難しくなる。逆を言えば、ちょっと頑張るだけで会えるのだけれど。

小・中・高・大、それぞれの学校でたくさんの友人ができて、様々なことを学んだ。今となっては、無駄な時間なんかちっとも無かったのではないかと思える。確かにちっとも叶ってない夢もあるけど、それも全て「今」の自分を形成する要素になっているんじゃないだろうか。

もちろん、現在の自分に満足しているわけじゃない。マイナス思考の僕には到底無理な話で、死ぬときに自分を褒めてあげれればなと考えている。今は、思い出たちがモチベーションになって新しい生活もやっていける気がしている。一人一人の「頑張って」「またいつでも戻っといで」「無理すんなよ」「おまえには負けん」・・そんな些細な言葉が、今はとっても嬉しくてとっても大きな力になってる。やっぱり自分は一人では到底生きられるわけではなくて、支えられて生きているんだなと再確認する瞬間だ。

大学の卒業式で、ええこと言うてる教授がいた。詳しくは覚えてないけど、「思い出だけでは生きていけないよ。」と。確かに。そこから踏み出すことが、難しい。浸ってるばかりやったらあかんよなーと、気づかされた一瞬でした。ええ思い出いっぱいできたけど、懐かしんでばっかりじゃいられない。と思いながらも、昨日ゼミの友達と会い、タリーズで思わず涙しかけた私です。

厳しくつらいこともあるやろう。気に喰わないことや投げ出したいことも。
割り切って働かなあかん瞬間や、思ってもないことをやらなあかんことがあるかもしやん。
それでもそんなときこそ
そこに関わってる人の事情を、感情を、想いをないがしろにはしたくない。もちろん自分の気持ちにも素直に生きたい。「ええやん。」が自分の中にも、友人の中にも、他人の中にも、いっぱい生まれてくる働き方、生き方ができたら素敵やなぁと思う。

さぁて来春からの勤務地は・・

yosuke07142007-03-25

どうもこんにちは。思ってたよりも早く配属通知が届いてしまってドキドキ・ソワソワしている佐藤洋介です。

僕は幼稚園の頃から大阪でもう20年近く過ごしましたが、実際に生まれたのは福岡の北九州市なんです。で、何かの縁なのか、福岡で働くことになりました。

ちなみに天神です。なかなか楽しみです。何があるかはよく知りませんが、悪いうわさをあまり聞かないので、とりあえずは一安心です。

とりあえず、引越しの準備がこれから大変です。手続きとかも面倒くさいしw 何から手をつけていいのやら、全くもってナゾですね笑

ただ一つ言える事は、頑張るぞってことです。勉強し倒して、遊び倒して、立派なビジネスマンになろうかと思います。

今まで、色んな方にお世話になりました。おかげで、立派と胸を張って言えるかは分かりませんが社会人として働け出せそうです。福岡に地縁のある方、お立ち寄りの際には、ご一報をお待ちしております。

センチメンタリズム

yosuke07142007-03-21

最近、時間が慌ただしく過ぎていく気がする。でも実際はと言うと、今までの大学生活となんら変わらないように、美術館へ足を運んだり友達と美味しいものを食べに行ったり、徹夜でゲームしたり、高校時代の友人と過去と未来について喋ったり。平凡やけど大切な日常を送っています。

そんな中でもちょっとずつ卒業を意識せざるをえないのも事実です。サークルの後輩からもらったアルバムやDVDを何度も見返したり、新生活に必要なもんを揃えにいったり、ゼミの卒業アルバムを作成したり、バイト先で送別会があったりで、なかなかその度に感慨深いものがあります。卒業や新生活を意識しながらだと街や普段なら気にも留めない会話も愛しく感じられます。

ところで、4月からの新生活はまだどうなっているか全く予想できません。周りの友人達はどんどん、配属先が決まってて自分はどこ行くんやろうかと考えるとちょっとドキドキします。じらされてじらされて最初はどうなるか不安やったけども、今は将来の自分が想像できて、現段階での目標もみえたから、期待の方が大きくなってきたような感じです。東京で働こうが大阪に残ろうが、地方に飛ばされようが、今はどこでも頑張れるような気がしています。

そんなちょっぴりモヤモヤした心持ちのなか、ゼミでの卒業旅行@直島へ行ってきました。直島は香川県の、瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。都会に住んでいてはなかなか感じることのできない、日本の原風景やさわやかなあいさつ、のどかで緩やかな時間の流れが確かにそこにはあって、そんな恵まれた環境のなかで、アートと接することができる、考えを深めることのできる島です。日常の生活×アート×恵まれた自然、それがもたらす、ユルい空間。そのなんとも快適な空間を、大切な友人たちと楽しく時にはセンチに過ごせました。

大学時代の後半2年間、あっという間の濃密な時間を過ごせたのはほんとうにこのゼミのメンバーのおかげです。初めて顔あわせをした時は全員喋ったことのない奴ばっかりでどうしょうか思いました。仲良くなれるんかなーとか、どうせゼミと言っても週一回集まって一緒に勉強するだけの関係だけやと考えてました。そんな初めて出会ったときの事を考えると、恥ずかしく申し訳なくなるくらい、今は数え切れない思い出があります。最初の新聞報告会から、上海実地学習とその準備、三商、就職活動、卒論、ゼミでの授業、食堂、カフェ・ベローチェ、誕生日サプライズ、城之崎、四国・四万十川、FIJI・・思い出すだけでこんなにもあって、それぞれの中に、みんなそれぞれとの思い出が詰まっています。

このゼミのメンバーは、本当に個性豊かな人が多い。この2年間でいっぱい仲良くなれたけど、もっともっと長い付き合いしたいと思わせてくれます。このメンバーのうち、誰が欠けてもおれは嫌です。
ないものを与えてくれて、つまらん話を聞いてくれて、くだらないことで笑いあえて、みんなそれぞれが誰に染められることなく、マイペースを保っていて、それが自然に成り立っているゼミ。そんなこの環境に入り込めた事に深く感謝したいです。

そんなメンバーでの卒業旅行だったので、楽しさ半分寂しさ半分という気持ちのまま直島をめぐっていました。クルマも広いし街を歩きながらの旅行やから、みんなでゆっくり話す機会はなかったけど、眠りに着く前や帰りのクルマの中ではちょっとジンときました。まだバラバラになる実感がないですが、卒業式でその現実に向き合わなければならなくなると思っています。

あー寂しいわ。

思い出、それはきっと大きなモチベーションになる

yosuke07142007-03-11

ひしひしと卒業の二文字が間近に迫ってきている。

学生時代最後の海外旅行北京を無事に終え、昨日はサークルの追いコンやった。もう気がつけば20日で学生時代も終わり。残りの予定は温泉やらゼミでの直島旅行やら卒業旅行や、引越しの準備やら。ほんまあっという間に終わりそうだ。

北京では、高校時代の友人にめちゃめちゃ助けてもろうた。寝床を無料で確保してくれたり、美味しいものを食べさせてくれたり、ガイドになって解説してくれたり、至れり尽くせりやった。この恩は必ず返させて頂きます。

にしても久しぶりに行った中国は、やはり騒がしいところやった。上海と雰囲気は違えども、クラクションはめっちゃ鳴るしみんなよう喋るし、順番守らへんし、なんといっても人がほんま多い。でも生活自体は、北京市内に限ればもうだいぶ豊かになっていると実感。生活で不便を感じる事はほとんどなかったように思う。

友人は授業で忙しかったり勉強せんなあかんのに、こんなおれに時間を割いてくれた。北京では何もしてあげられへんかったけど、日本に返ってきた時には力になりたいと心から思う。高3で初めて一緒のクラスになり友達になったわけやから、実質1年しか一緒におれんくてまぁその後もちょくちょく近況報告はしてたけど、めちゃくちゃ一緒に遊んだ!って記憶はあんまりない。体育祭とか文化祭くらい。それでもこうやって高校卒業した今でも、仲良くできているのは気が合うのかなと勝手に感じたりしている。おれのつまらん話にも付き合ってくれるし、大事な人です。もっとためになる話をこれからは提供します。

話はちょっと変わります。

なんとなく入ったストリートダンスサークル。昨日はその追いコンやった。3回生のパワーにはビックリさせられ、それぞれ役割分担ができていて「一致団結」て言葉がぴったりやったように思う。暖かい、温もりのある空間やったと思います。後輩以外にもOBOGさんがいっぱい来てはって、自分がまだ1回生のときを思い出したりほんま楽しい時間を過ごせました。

大学生活の途中からあまり顔を出さないようになってしまい、踊るのも新歓祭や学祭だけになってしまった。それでもあの追いコンでスピーチをしてるときに感じたのは「4年間やってよかったな」やった。自分はダンスも下手くそで迷惑をかけてばかりの立場やったけど、ほんま色んな魅力的な人に出会って、成長させてもらった気がする。

ショーはどちらかといえば苦手やったけど、練習やその間の馬鹿話、DJタイム、ほんまに大学時代の大切な大切な思い出。またあの場所にたまには顔を出せればなと思う。

これまでの学生時代、ほんまに色々なことがあった。楽しいこと悲しいこと、笑ったこと泣いたこと、全てがいい経験になっててこれからの社会人生活の糧になる。自分はほんまにしょうもない人間やけど、幸運なことに環境に恵まれ、素敵な人たちに巡り合えた。ほんとうに大きな財産。ほんとうにありがとう。これから頑張ります。

今、会いにいきます

yosuke07142007-02-26

どうも自分は単純なやつなようで、一時期の鬱を乗り越えて最近は新生活が楽しみになってきた。

あれもしたい、これもしたいと欲張りな状態やけど、「本当に大切なことは何なのか」常に考えて優先順位をつけてやらんとな。そうせんなぐちゃぐちゃになりそうや。英語とか銀行の勉強とか。あと、もうちっとネットを自在に使えるようになりたい。アフィリエイトとかにも興味あり。

インターネットはこれからますます欠かせなくなるツールになるはずだ。情報収集のツールとしてこれ以上便利なものはない。もちろん収集だけではなく、これからは「発信」のツールとしてもますます期待が持てる。それに関する機能も大充実だ。詳しくはこちらを参照。→ヤバい情報収集術

ただ、この本にも書いてあるけど本当に重要なのは、収集するのが目的なのではなくて、それを活かすことが大切。ネットじゃなくても例えば読書においてでも、知識を増やすこと自体は簡単であるが、それを血肉として自分に施すのは大変骨を折る作業である。実行するかしないか、これがキーポイントだ。

最近ますます本に金をつぎ込んでいるが、それが無駄にならないためにも実行することを心掛けようと常々意識している。好きな服買うのやCDを我慢してるんやから、活かせなもったいない。そう、もったいない。まぁ読書は趣味なので、別に他を我慢しているって意識はあまりないけど・・それでも月10〜15冊前後は読んでる気がする。社会人なったら何冊読めるやろうか。てかまだまだ少ないなw

学んで思わざれば即ち罔し。思うて学ばざれば即ち危うし。
(學而不思則罔、思而不學則殆。)孔子:「論語」より。
論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典 (角川文庫 角川ソフィア文庫) [ 加地伸行 ]

これは、今の自分にとってぴったりな言葉。学んで考えることをやらなければ、頭の中はもやもやしてすっきりしない。考えても学ぶことをやらんければ、独善に陥りやすく危険である。孔子はこう説いている。現代風に言い換えれば、インプットとアウトプットをバランス良く行えといったところ。よく分かってるつもりでもなかなか、特にアウトプットが実践できない。どんどん新しい場にも顔を出すこと、そこで意見してみること。これが今後の自分にとっての課題といったところかな。

課題について言うと前の日記にも書いたけど、こだわりたいものが増えてきた。スーツであるとかターンテーブルであるとか。ほんのちょっと前までは安ければええと思ってたけど、今はしっかりした「いいもの」が欲しい。ちょっとずつちょっとずつ、粋なものが集めようと思う。いいものに囲まれて生活すること、ちょっとは感性豊かな人間になることを目指したい。また、思ったことを上手く言葉にもしたい。名作と言われる音楽や美術や映画に触れ合っても、「すげえ!」っていう感想が大部分を占めてしまっている。もうちょっとそれぞれの背景について勉強する必要がある。ちなみに先日こんな本買いました。デニム・バイブル。まだ読んでへんけど。[rakuten:book:11979788:image]

こんなに情報収集の技術が高度化してるのだからそれを使わんと、もったいない。自分のアンテナに引っかかったことは何事もググってみることが小さいけども、大切な一歩かもしれないと思う。0を1にするのが難しい。1を発明できれば、あとはそれを繰り返せば1000になる。1を作り出す行動力と1000にする努力。自分で書いてて耳が痛い。

昔の人はほんまいいこと言ってる。上記の「0を1にするのが難しい。1を発明できれば、あとはそれを繰り返せば1000になる」は確かユダヤ人の格言かなんかやったような気がする。よく覚えてませんが。

やっぱ歴史を振り返ることは大切やな。みんなよう考えてる。そのエキスをちょっとでも頂こう。よっしゃ3月8日まで北京行ってきます。では、また。

フレッシュメン

yosuke07142007-02-23

早いもので2月も後少しで、社会人として働き出すまであとほんの一ヶ月となった。

最近の私はといえば、読書したり音楽鑑賞したり、友人と食事したりそんな感じです。あと、一週間ほど前まではタイにおって、26日からは友人を訪ねに北京へとふらっと行く予定。これ行ったら、学生の間の旅行は直島くらいになってまうのか。旅行に関しては国内・国外満足できるほどいけたかなーと思う。まぁもちろんこの先もずっとずっと色んなとこお邪魔して、美味しいものを食べたり綺麗な景色を見れたらなと思います。

あと、ビジネスマンになるためのアイテムが揃いつつあります。ところどころにメリハリを利かせながら、少ない資金の中でわりと、満足いくアイテムが揃ったと思います。スーツにシャツ、靴にベルト、名刺ケース、あとネクタイも。あと買いたいものは時計かな。鞄はもう就職活動の際に使っていたものをとりあえずは使うつもり。働き始めて金に余裕ができ始めたら、少しずついいもんを揃えていこうかなと思う。

高校時代からの友人が、この前いいこと言うてました。
「やっぱビシッとカッコええスーツ着てお気に入りの格好して働かんと、やる気も無くなるやろ!学校でもイマイチ自分の服装に納得できんときは帰りたくなるしな!!でへへ。」

自分は彼のようにかっこよくはありませんが、非常に説得力のある意見でした。格好とかどうでもええやろと最初は思ってたけど、働くときも気を遣って洒落た格好していきたいと思います。

少し話は変わりますが、コーヒーをずっと飲めなかったのですが就職活動を契機に愛飲するようになり、今では軽いカフェイン中毒といってもよいくらいです。贅沢かもしれませんが、スタバもしくはタリーズに行くと必ず「ショット追加」です。程よく苦味が出て、これが美味しい。近い将来はインスタントではなく、一人暮らしでもコーヒーメーカーから淹れたいです。ミルクをシェイクできるやつも買ってみよう。コーヒーに詳しい=大人ってのは完全な自己満足です。

読書とか旅行とか音楽鑑賞とか美味しいものを探す事とか、社会人になってもきっと自動的に継続していくやろうと思います。それが無いといろんなもんが成り立たなくなるだろうと思うからです。ただ、これ以外になんかやってみたいんです。たとえば英会話とか?去年初挑戦のサーフィンとか。仕事も大切ですが、趣味も大切です。バランスの取れた新生活を送ることが当面の目標。あとダンスもやはり好きなので、何かしらの形で関わっていければな。器用貧乏まっしぐら。

なんだか、夏頃から始まっていた就職ブルーはようやく解消されました。きっとある程度覚悟もついたような気がするし楽しみやったりします。

悪夢

「私は子供たちを救いたい・・しかし、どうすればいいんだ。」こんなショッキングな言葉で締めくくられたこの映画。友人がブログにレビューを書いていて、気になったので見に行って来ました。

タンザニアヴィクトリア湖に数十年前に何者かによって、ナイルパーチという魚が放たれた。この大型肉食魚は、湖の生態系を破壊つつも周辺の村に「経済」を与えた。この魚を輸出することによって、仕事が生まれ、一部の人々は豊かになった。

その一方で生まれる、貧困や虐待、ドラッグの問題。搾取される労働者たち。「何もしないよりはマシ。働けることはありがたい。」と日本人には到底考えられない労働環境の中で彼らは淡々と語る。

この映画はそんなタンザニアの人々、ストリートチルドレンや売春婦、猟師、工場長、ジャーナリスト、政治家、輸出先のEUの政治家、それぞれの立場の者が、それぞれの意見を吐き出していく。

見ている私たちは、何も言葉に出せず、これが現実であり、なにをどうすればいいのか分からないままこの映画を見終わることになる。

ここに出てくるナイルパーチという魚は日本でも食用されている。実際に映画の中でも、主な輸出先はEUに「日本」と出てくる。日本では白身魚として代用されているようだ。つまり自分も、この映画の一部分を担っているということになる。

先進国が途上国の豊富で廉価な労働力を利用し、衣服から食料まで様々なものを輸入する。中国の衣料品が、東南アジアの農作物や、アフリカの魚類や香辛料が手に入らなかったらとしたら、とてもじゃないが生活は苦しくなるだろう。

搾取することで生まれる貧困。搾取されることを厭わず働く労働者。悪環境がもたらす様々な弊害。もし、我々が外国からの輸入をやめれば、労働口が奪われてますます貧しくなってしまうのも現実である。
「我々は、巨大な組織の一つの部分だ。」そんなメッセージを発していた映画の中のカレンダーが、とても印象的であった。もうこの悪夢、ではなく現実から抜け出すことはできないのであろうか。